あの日からのことをもう一度振り返ってみる(1)
2012年3月4日 日常東日本大震災からまもなく1年になる。
あの日のことは衝撃的で、その日からいろいろ変わってしまった。
あの日の日記はすぐに書いたけれども、
その後、書き直したいと思っていた。
しかし、なかなか書けずに…そして1年近く経ってしまった。
ここでようやく書いてみようと思った。
しかし、かなり忘れている部分もあるため、多少違うこともあるかもしれない。
前に書いた日記とか、その辺の情報を参照しながら、もう一度書いてみた。
2011年3月11日(金)
あの日のその瞬間のこと。
それはあまり覚えていない。
ゆれを感じてまずしようと思ったことは、
揺れてるということをツイートすることだった。
二日前くらいにも同じように結構揺れる地震があったのだが、
そのときは電話中だったため、何もできなかった。
ブラウザで文字を入力していたところ、
電源が落ちた。
地震で停電になるのは初めての経験だった。
その後も、揺れは続く。
いままでのものはせいぜい数秒だったのだが、揺れ大きく長く続いた。
体感は1分以上。
こんなに長く大きな地震って・・・
頭をよぎったのは東海地震だった。
いよいよ来たのか?
揺れてる間携帯で文章を打ち、Twitterに送った。
揺れが収まる。
停電はしたまま。
情報を求めて、携帯のワンセグをつけた。
震源が東北沖だと知る。
お台場付近で黒煙があがっているとの情報もあった。
(後に大事ではなかったと知る)
少しして近くの生命保険会社のビルから集団が降りてきていた。
こういうの事態になったらそうだよな~と思いつつ、うちは小さな会社なので、そういうものはなかった。
(そういえば、揺れてる最中も、こういうときは机の下に隠れるんじゃなかったかな~と思いながら。)
地震後、部屋にじっとしていたのは、電気はすぐに復活するんじゃないかな…と思ったからだろうか?
そして、二回目の地震。
揺れの程度は同じくらい。
これは危ないんじやないだろうか…と、皆で外に出た。
しばらく外に待機…この時、携帯の電波は繋がりにくくなっていた。
もう大丈夫?というところで中に戻る。
電気は止まったまま。
このアパートは停電していると水が流れない。
当然、トイレの水も流れないのだった。
…ということで、トイレを求めて、また外に出た。
公園にトイレがあるのを知っていたので、そこまで行く。
大通りを渡ると、その向こうでは停電していなかった。
(あとでわかることだが、この「向こう側」では計画停電でも停電しなかった)
トイレのち、会社にもどる。
電気は回復せず。
このまま回復しないなら、ジョナサンに行こうということになった。
この時点で、電車が動いていないという情報は得ていた。
しかし、ジョナサンは営業を終了していた。
(多数の客は残っていたが)
それで、会社に戻ることになった。
携帯の電池がなくなってきていたので、途中でコンビニに寄り、電池を買った。
遅れて戻ると、上司とかがトランプで大貧民をやっていたが、わたしはそんな気にならなかった。
電池で携帯充電を開始した。
この時点で、近くの町田、相模原に住む人は帰っていた。
残っているのは電車がないと帰れない人たちだった。
午後4時半頃、電気が復帰した。
パソコンを立ち上げ地震前までやっていたコードを見る…
正直、どこをどうやったか忘れていたが、問題はなかったようだ。
電源は復帰したものの、ネットに繋がらない…実はサーバの設定の問題でした。
電車はまだ動いていない。
帰るのであれば歩いて帰らないといけないのでルートを調べる。
「行幸道路」と呼ばれる道にでれば、あとはずっと道なりに進めばいいとは思っていた。
コードを見なおしたあと、どうやら電車は動かないと確信して、ようやく会社を出たのだった。
午後6時頃のこと。
電車は動いていないが…念のため、小田急町田駅を確認しに行った。
改札まで行けるかと思ったが、
駅入り口の階段前で締め切られていて、中にはいることは出来なかった。
JR町田駅…は改札前でシャッターが閉まってていた。
こんなところにシャッターなんかあったんだ!という驚きと。
そして巨大なシャッターだった。
改札前を通過し、線路の向こう側へ。
ここから先はまだ行ったことのないところである。
その道路は簡単に見つかった。
あとは道なりに行くだけだった。
途中、駅に立ち寄って、動いてないかどうか確認していた。
相模大野付近で広報が流れていて、それによればこの時間、
まだ停電しているところがあるらしい。家が心配だった。
小田急相模原駅に立ち寄ったあと、元の道に戻ったら方向感覚が狂って、
逆に進んでしまうハプニングもあったりした。
途中、ラーメン屋に寄る。
この店はこういうときでもないと入らなかったかもしれない。
3時間くらいかかってようやく家に着く。
家は停電していなかったようだ。
本が崩れたりすることもなかった。
そこからはいつもどおりだった。
ただし余震とかが心配で、寝るときに
ラジオを音をしぼりつつ、つけっぱなしにして寝た。
深夜には小田急が運行を再開したとのことで、
それで会社から帰った人がいたとのことだった。
(3月12日以降の話も続く予定です)
あの日のことは衝撃的で、その日からいろいろ変わってしまった。
あの日の日記はすぐに書いたけれども、
その後、書き直したいと思っていた。
しかし、なかなか書けずに…そして1年近く経ってしまった。
ここでようやく書いてみようと思った。
しかし、かなり忘れている部分もあるため、多少違うこともあるかもしれない。
前に書いた日記とか、その辺の情報を参照しながら、もう一度書いてみた。
2011年3月11日(金)
あの日のその瞬間のこと。
それはあまり覚えていない。
ゆれを感じてまずしようと思ったことは、
揺れてるということをツイートすることだった。
二日前くらいにも同じように結構揺れる地震があったのだが、
そのときは電話中だったため、何もできなかった。
ブラウザで文字を入力していたところ、
電源が落ちた。
地震で停電になるのは初めての経験だった。
その後も、揺れは続く。
いままでのものはせいぜい数秒だったのだが、揺れ大きく長く続いた。
体感は1分以上。
こんなに長く大きな地震って・・・
頭をよぎったのは東海地震だった。
いよいよ来たのか?
揺れてる間携帯で文章を打ち、Twitterに送った。
揺れが収まる。
停電はしたまま。
情報を求めて、携帯のワンセグをつけた。
震源が東北沖だと知る。
お台場付近で黒煙があがっているとの情報もあった。
(後に大事ではなかったと知る)
少しして近くの生命保険会社のビルから集団が降りてきていた。
こういうの事態になったらそうだよな~と思いつつ、うちは小さな会社なので、そういうものはなかった。
(そういえば、揺れてる最中も、こういうときは机の下に隠れるんじゃなかったかな~と思いながら。)
地震後、部屋にじっとしていたのは、電気はすぐに復活するんじゃないかな…と思ったからだろうか?
そして、二回目の地震。
揺れの程度は同じくらい。
これは危ないんじやないだろうか…と、皆で外に出た。
しばらく外に待機…この時、携帯の電波は繋がりにくくなっていた。
もう大丈夫?というところで中に戻る。
電気は止まったまま。
このアパートは停電していると水が流れない。
当然、トイレの水も流れないのだった。
…ということで、トイレを求めて、また外に出た。
公園にトイレがあるのを知っていたので、そこまで行く。
大通りを渡ると、その向こうでは停電していなかった。
(あとでわかることだが、この「向こう側」では計画停電でも停電しなかった)
トイレのち、会社にもどる。
電気は回復せず。
このまま回復しないなら、ジョナサンに行こうということになった。
この時点で、電車が動いていないという情報は得ていた。
しかし、ジョナサンは営業を終了していた。
(多数の客は残っていたが)
それで、会社に戻ることになった。
携帯の電池がなくなってきていたので、途中でコンビニに寄り、電池を買った。
遅れて戻ると、上司とかがトランプで大貧民をやっていたが、わたしはそんな気にならなかった。
電池で携帯充電を開始した。
この時点で、近くの町田、相模原に住む人は帰っていた。
残っているのは電車がないと帰れない人たちだった。
午後4時半頃、電気が復帰した。
パソコンを立ち上げ地震前までやっていたコードを見る…
正直、どこをどうやったか忘れていたが、問題はなかったようだ。
電源は復帰したものの、ネットに繋がらない…実はサーバの設定の問題でした。
電車はまだ動いていない。
帰るのであれば歩いて帰らないといけないのでルートを調べる。
「行幸道路」と呼ばれる道にでれば、あとはずっと道なりに進めばいいとは思っていた。
コードを見なおしたあと、どうやら電車は動かないと確信して、ようやく会社を出たのだった。
午後6時頃のこと。
電車は動いていないが…念のため、小田急町田駅を確認しに行った。
改札まで行けるかと思ったが、
駅入り口の階段前で締め切られていて、中にはいることは出来なかった。
JR町田駅…は改札前でシャッターが閉まってていた。
こんなところにシャッターなんかあったんだ!という驚きと。
そして巨大なシャッターだった。
改札前を通過し、線路の向こう側へ。
ここから先はまだ行ったことのないところである。
その道路は簡単に見つかった。
あとは道なりに行くだけだった。
途中、駅に立ち寄って、動いてないかどうか確認していた。
相模大野付近で広報が流れていて、それによればこの時間、
まだ停電しているところがあるらしい。家が心配だった。
小田急相模原駅に立ち寄ったあと、元の道に戻ったら方向感覚が狂って、
逆に進んでしまうハプニングもあったりした。
途中、ラーメン屋に寄る。
この店はこういうときでもないと入らなかったかもしれない。
3時間くらいかかってようやく家に着く。
家は停電していなかったようだ。
本が崩れたりすることもなかった。
そこからはいつもどおりだった。
ただし余震とかが心配で、寝るときに
ラジオを音をしぼりつつ、つけっぱなしにして寝た。
深夜には小田急が運行を再開したとのことで、
それで会社から帰った人がいたとのことだった。
(3月12日以降の話も続く予定です)
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