(日記タイトルに谷山浩子の曲の歌詞をかいていますが特に関係はないです)

19日朝、長嶋茂雄の奥さんが亡くなったというニュースをやっていたとき、ひとごとだと思っていた。

…まさか身内で…とは、そのときは思ってなかった。

正直、祖母が亡くなったといってもそれほど実感がなかった。

よく、世話になったといっても、小学生までくらいの話だし、
ここ数年は寝たきりで、一年に一度会いにいってはいたけど…元気なときには、呼び捨てで呼んでくれていたけど、最近はさん付けで、たぶん認識されてなかったんじゃないかな…
(もっとも、大人になったからかもしれないが)

そんなわけで、いつその話を聞いてもおかしくはなかった。

まず、それを聞いたとき思ったことは「仕事どうしよう」だった。

母に連絡をとったときはまだ何も決まっていない状態だった。
その後、21日に通夜、22日に告別式が決まり、実家に帰ることになった。

21日:通夜
通夜のときもあまりかなしいという感じではなかった。
粛粛とこなしていく感じ。

そういえば、この通夜は、葬儀屋の会場で行われたのだが…
通夜とか葬式は家でやるものとばかり思っていたんだけど、そういうものでもなかったらしい。

実は礼服を持っていなかったのだが、黒っぽいスーツで代用。

22日:告別式
通夜と同じ会場、朝9:00なのに遅くまで寝て、あわてる。
(家出る前に1時間は欲しかったな)

告別式も通夜と同じ感じであった。

お経をあげてもらってからあと…

棺のなかに、お花を入れるとき。
おばあちゃんが安置されている…そのとき感極まってしまった…

見ているのつらかったです。

出棺のとき、遺族の7人がいろいろもたされましたが、わたしがその7人目で「シカバネ」というものを持たされました。

それを持ったまま、マイクロバスに乗って火葬場へ。

このとき、故人のゆかりの場所をまわるのかな…と思ったらそういうわけでもなく。

火葬の前に最後のお別れ…おばあちゃんに一番お世話になったという従妹たちは号泣していた。

そして、わたし自身もちょっといきそうになる…。

1時間ほどして、火葬が終わった骨はすごく少なかった。

そして、再び葬儀屋へ…
その道では、時間調整のため、ちょっと大回りしたが、おばあちゃんが歩いた道を通ることになり、ちょうどよかった。

時間がお昼すぎで、精進料理での会食となる。
ここで会食を始める前に「ケンパイ」というものが行われた。まぁ…乾杯のようなものだが…。

このあとは納骨。
いちおう男子なので、お墓に骨壺を入れるために、蓋をしている石を退けたり、入れたあとに蓋を置く作業をあてがわれた。
(けっきょくやったのは蓋をする作業だけだったが)

納骨が終わり、これでお葬式はおわった。

次は四十九日法要。
四十九日は遅くなってはいけないが、少し早くなるのはいいらしい。
11月3日か4日にやることが決まった。

追記。
亡くなったのは午前3時頃だったそうなのだが…
実はその時間、不意に何かの具合で目覚めた時間だったりする…
うちにきてたのかな…

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