東日本大震災からまもなく1年になる。
あの日のことは衝撃的で、その日からいろいろ変わってしまった。

あの日の日記はすぐに書いたけれども、
その後、書き直したいと思っていた。
しかし、なかなか書けずに…そして1年近く経ってしまった。

ここでようやく書いてみようと思った。
しかし、かなり忘れている部分もあるため、多少違うこともあるかもしれない。
前に書いた日記とか、その辺の情報を参照しながら、もう一度書いてみた。


2011年3月11日(金)

あの日のその瞬間のこと。
それはあまり覚えていない。

ゆれを感じてまずしようと思ったことは、
揺れてるということをツイートすることだった。

二日前くらいにも同じように結構揺れる地震があったのだが、
そのときは電話中だったため、何もできなかった。

ブラウザで文字を入力していたところ、
電源が落ちた。
地震で停電になるのは初めての経験だった。

その後も、揺れは続く。
いままでのものはせいぜい数秒だったのだが、揺れ大きく長く続いた。
体感は1分以上。
こんなに長く大きな地震って・・・
頭をよぎったのは東海地震だった。
いよいよ来たのか?
揺れてる間携帯で文章を打ち、Twitterに送った。

揺れが収まる。
停電はしたまま。

情報を求めて、携帯のワンセグをつけた。
震源が東北沖だと知る。
お台場付近で黒煙があがっているとの情報もあった。
(後に大事ではなかったと知る)

少しして近くの生命保険会社のビルから集団が降りてきていた。
こういうの事態になったらそうだよな~と思いつつ、うちは小さな会社なので、そういうものはなかった。

(そういえば、揺れてる最中も、こういうときは机の下に隠れるんじゃなかったかな~と思いながら。)

地震後、部屋にじっとしていたのは、電気はすぐに復活するんじゃないかな…と思ったからだろうか?

そして、二回目の地震。
揺れの程度は同じくらい。
これは危ないんじやないだろうか…と、皆で外に出た。
しばらく外に待機…この時、携帯の電波は繋がりにくくなっていた。

もう大丈夫?というところで中に戻る。
電気は止まったまま。

このアパートは停電していると水が流れない。
当然、トイレの水も流れないのだった。
…ということで、トイレを求めて、また外に出た。

公園にトイレがあるのを知っていたので、そこまで行く。
大通りを渡ると、その向こうでは停電していなかった。
(あとでわかることだが、この「向こう側」では計画停電でも停電しなかった)
トイレのち、会社にもどる。

電気は回復せず。
このまま回復しないなら、ジョナサンに行こうということになった。

この時点で、電車が動いていないという情報は得ていた。
しかし、ジョナサンは営業を終了していた。
(多数の客は残っていたが)

それで、会社に戻ることになった。
携帯の電池がなくなってきていたので、途中でコンビニに寄り、電池を買った。

遅れて戻ると、上司とかがトランプで大貧民をやっていたが、わたしはそんな気にならなかった。

電池で携帯充電を開始した。
この時点で、近くの町田、相模原に住む人は帰っていた。
残っているのは電車がないと帰れない人たちだった。

午後4時半頃、電気が復帰した。

パソコンを立ち上げ地震前までやっていたコードを見る…
正直、どこをどうやったか忘れていたが、問題はなかったようだ。

電源は復帰したものの、ネットに繋がらない…実はサーバの設定の問題でした。

電車はまだ動いていない。
帰るのであれば歩いて帰らないといけないのでルートを調べる。
「行幸道路」と呼ばれる道にでれば、あとはずっと道なりに進めばいいとは思っていた。

コードを見なおしたあと、どうやら電車は動かないと確信して、ようやく会社を出たのだった。
午後6時頃のこと。
電車は動いていないが…念のため、小田急町田駅を確認しに行った。
改札まで行けるかと思ったが、
駅入り口の階段前で締め切られていて、中にはいることは出来なかった。

JR町田駅…は改札前でシャッターが閉まってていた。
こんなところにシャッターなんかあったんだ!という驚きと。
そして巨大なシャッターだった。
改札前を通過し、線路の向こう側へ。
ここから先はまだ行ったことのないところである。

その道路は簡単に見つかった。
あとは道なりに行くだけだった。

途中、駅に立ち寄って、動いてないかどうか確認していた。
相模大野付近で広報が流れていて、それによればこの時間、
まだ停電しているところがあるらしい。家が心配だった。

小田急相模原駅に立ち寄ったあと、元の道に戻ったら方向感覚が狂って、
逆に進んでしまうハプニングもあったりした。

途中、ラーメン屋に寄る。
この店はこういうときでもないと入らなかったかもしれない。

3時間くらいかかってようやく家に着く。

家は停電していなかったようだ。
本が崩れたりすることもなかった。
そこからはいつもどおりだった。
ただし余震とかが心配で、寝るときに
ラジオを音をしぼりつつ、つけっぱなしにして寝た。

深夜には小田急が運行を再開したとのことで、
それで会社から帰った人がいたとのことだった。


(3月12日以降の話も続く予定です)
つづきです。
地震翌日以降の話。
当日以上のインパクトはないかも…。


3月12日(土)
土曜日としてはいつもどおりに起きる。
停電が心配されていたので、懐中電灯や小型ラジオを探しに出かけるが、すでにもうない状態だった。
いつの間にか節電する作戦が「ヤシマ作戦」と呼ばれるようになっていた。

地震が発生してから、キー局はずっと特別番組だったが、それを打ち切ったのがテレ東だった。
これには多少の批判はあったらしい。

U局ではtvkが「あに☆ぶん」を24時から通常放送。
(tvkに関しては昼間も通常放送だったらしい?)
そして、24:30には伝説の放送が。
「お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!」のこの回の放送はこともあろうに津波のシーンがあった。
放送中、「これ、大丈夫なのかなあ」…と思ったら、案の定他の局ではこの回は放送中止になった。
津波警報の表示と津波のシーンはtvkだけの放送だったのである。
(7月頃にようやくAT-Xでこの回が放送された)

3月13日(日)
昼間は通常通り…テレビの報道は見てたかもしれないが。
日曜の停電はなかったが、平日は電気が不足する…ということで、輪番停電のグループが発表された…のだが。
よくわからなかった。
5つのグループがあったが、自分の市が複数のグループに存在する。
もう少し詳細なものも出たが、コレについても○○市△△まで書いてあるものの、やはり複数のグループに存在する。
これではよくわからない。
とりあえず、いきなり第1グループみたいなので、これは大変…ということで目覚ましを1時間早く設定して寝る。


3月14日(月)
朝になったら大変なことになっていた。
地震後のサードインパクトといってもいいかもしれない。

小田急の運行情報を見てみると…新宿‐経堂間のみ運行。
は!?なにそれ?
うちの地域は電車が運行されないのだ。
計画停電で電車が運行できない区間があるのはわかる。
でも、これはないんじゃないかなぁ…。
まさか、こうなるとは思わなかった…。
(計画停電の地域が複雑過ぎてキレたんだなと(笑))
どうしようか悩んでいると、上司から連絡があり、会社に出るように…と。
う~ん、なぜだろう、途端に行きたくなくなるのは(笑)
バスのサイトを見てみようとしたが繋がらない。

仕方がないので自転車で行くことにした。
金曜とは逆のルートをたどればいいので、ルートの心配はなかった。
これが結構長かったように思う。
そして、結構危ない。心配はなかったけど不安はあった。

会社では、出てこれない人もいた。
町田のここでは計画停電が15時に予定されていたため、業務は早めに終わる。
帰りにコンビニでお金をおろす。
単純にお金がなかったからだが、ここで下ろして置かなかったら大変なことになっていたと思う。
帰ってくると、計画停電の2回目の予定だったが、この日は実施されず。

3月15日(火)
この日も電車が運行されなかったので自転車で。
お昼くらいに計画停電が予定されていたが…中止となった。

仕事は普通に6時までやってから帰る。
帰りはもちろん夜道だったのだが…
ちょっと怖かった。
これは雨だと無理だな…と思った。

家に帰ったら、停電していたらしく
いくつかのものがリセットがかかっていた。


3月16日(水)
電車がやっと通るようになる。

昼間は節電のため暖房を使わず、
ジャンパーを着て寒さに震えていた。

初めて計画停電になった。
仕事を切り上げるかと思ったら、
3時間ずっと待って、電気が再開してから仕事も再開した。



3月17日以降。
計画停電に対応した変則的な出勤日程が決まる。
平日に休んだり日曜に出勤したりと、気分的に疲れた。

どうも、変則日程になってからは停電はやらなくなった。
なんなんだそれ。
正直疲れた。

そんな、変則予定も4月に入って終わる。
東日本大震災から1年。

今朝は日曜にしては早めに起きる…というか早めに起きた。

朝から震災関連のテレビ番組を見て…
津波などの映像に涙してみたり。

14時46分には、追悼式をみながら黙祷した。

わたしのいるところで、
サイレンが鳴らされたらしい。


きょうは、アニメを見なかった。
震災の番組を見続けたが、22時頃中断した。
少し疲れたかも。
※この日記にはmixiのリンクがありますが、mixiの人じゃないと見られません(^_^;

先日、福島の銘菓や野菜などがSAで大量に捨てられている?という記事が掲載された。

■福島近郊のSAで福島の銘菓、野菜、米など大量に捨てられる
http://www.news-postseven.com/archives/20120313_94151.html

この記事では、手渡されたお土産が高速道路のサービスエリアで大量に捨てられているというものだった。

記事はmixiニュースでも掲載された。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1949271&media_id=125


この記事をみて、マイミクの何人かが反応していた。
わたしも、なんてひどいことだと思っていた。


そして今朝のこと。
こんなブログの記事が流れてきた。


福島産の食べ物がSAで大量に捨てられてるという記事は、デマの疑惑濃厚
http://ameblo.jp/jmaffili/entry-11192714880.html

週刊ポストの記事を読んだ人が、怒って調べてみたら…
全くのでたらめだったというもの。

この記事は、mixi日記を転載したもので、
そのもとはこちらにある。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1829824427&owner_id=10107499


まったく、やられたという感じです。
デマなのか?週刊ポストの記事は?


いちおうちょっとひいてみて、
反論の方ももしかしたら…と考えてみました。

たしかに、ブログの方は
他の記事が、なんか怪しげで…という感じはある。

でも、先ほどを書いたとおり、
これは、 mixi日記からの転載であり、
そのもとについては、信憑性がありそう。



もしかしたら、1件や2件は捨てたのもあるのかもしれません。
でも『大量に』というのは誇張がありすぎる。


週刊ポストはなんでこんな記事を書いたんだろうか?
非道すぎる…と思った。


[NAVERまとめ]
デマ?「SAで福島県産品が大量に捨てられる」週刊誌記事に対するSA従業員の方の反証まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2133177647845722501


追伸
mixi日記を転載してるブログなんですが…
朝見たときと様相が変わっているのがちょっと気になる(^_^;
僕の現実ってどっちだっけ?

発売:2010/01/10 入間人間/電撃文庫・アスキーメディアワークス



長瀬透の死。
いきなりそんなところから始まる。
しかし、特に生活に変化はない……わけではなかった。
それは突然現れ、奪っていった。
いったい何者なのか?(と、読者は思う)

中盤、理解に苦しむ展開になるが…短気な人は読むのやめてるよな…これ。

次巻が最終巻とのことだが…。

なんとなく、これって『偽物語』ってタイトルでもいいんじゃないかと思った(笑)

ボクは
お嬢様のメイドになります。


発売:2010/08/20 おりもとみまな/チャンピオンREDコミックス・秋田書店


変態なマンガでした(笑)

とは言うものの、それぞれのイベント?は、
まぁ、それなりによかったのではないかと…。
○縄戦のヴァーチャルなのが割とマジメ(^_^;

この作品に出てくる女はひどいやつばかりです(笑)

電車のなかで読んでたけど…こそこそと読んでいました(^_^;

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